はじめに
「歳をとると物忘れが増えてきた」「認知症は予防できるの?」。認知機能と運動の関係は、近年特に注目が集まっているテーマです。
第14回は「運動と認知機能」の関係を整理します。脳の健康という観点から運動を捉え直すことが、この回の目的です。
運動は認知機能にどう影響するか
定期的な運動習慣が認知機能の維持・向上と関連することが多くの研究で示されています。特に有酸素運動との関連が強く研究されており、記憶・注意・処理速度・実行機能(計画を立てる・判断するなどの高次の認知能力)への関連が報告されています。
また運動習慣がある人では認知症・アルツハイマー病の発症リスクが低い傾向が、複数のメタ分析で示されています。2024年にLancet誌が更新した認知症予防に関する報告でも、身体的不活動が認知症の修正可能なリスク因子の一つとして挙げられています。
ただし「運動すれば認知症を確実に予防できる」という断定はできません。認知症の発症には遺伝・加齢・血管リスク・生活習慣など多くの要因が複合的に関与しており、運動はその中の重要な一つです。
体の中で何が起きているか
運動が脳に影響するメカニズムとして、現在以下のことが示されています。
BDNFの分泌
有酸素運動によってBDNF(脳由来神経栄養因子・Brain-Derived Neurotrophic Factor)の分泌が促進されることが示されています(第1回参照)。BDNFは神経細胞の生存・成長・シナプス(神経細胞のつながり)の形成に関与する物質です。「脳の肥料」とも例えられるBDNFの増加が、記憶・学習に関わる海馬(脳の記憶を司る部位)の機能維持と関連することが研究で示されています。
海馬の体積維持
加齢とともに海馬の体積は縮小する傾向がありますが、定期的な有酸素運動を行っている人では海馬の体積が維持されやすいことを示した研究があります(Erickson KI et al., PNAS, 2011など)。運動が脳の構造的な変化にも関わる可能性が示されています。
脳血流の改善
有酸素運動は脳への血流を増やす方向に働き、脳細胞への酸素・栄養の供給が改善することが示されています。また動脈硬化の抑制・血圧の管理(第10回参照)を通じた間接的な効果も考えられます。高血圧・糖尿病・脂質異常症は脳血管障害を介して認知症リスクと関連しており、これらを運動で管理することが認知機能保護にもつながります。
炎症・酸化ストレスの軽減
慢性的な炎症・酸化ストレスは神経細胞へのダメージと関連することが示されています。適度な運動はこれらを軽減する方向に働くことが研究で示されており、認知機能の保護と関連すると考えられています。
有酸素運動だけでなく筋力トレーニングも
認知機能への影響は有酸素運動だけでなく、筋力トレーニングとの関連も研究されています。
筋力トレーニングによって認知機能(特に実行機能・記憶)が改善するという報告が複数あります。筋肉が収縮することで分泌されるマイオカインの一部(イリシンなど)が、脳のBDNF分泌を促す可能性が研究で示されています(第5回参照)。
有酸素運動と筋力トレーニングを組み合わせたマルチコンポーネント運動が、認知機能の維持においてより効果的である可能性が示されています。
コグニサイズという考え方
「コグニサイズ」とは、運動(エクササイズ)と認知課題(コグニション)を組み合わせた取り組みの総称です。国立長寿医療研究センターが提唱し研究を進めており、ウォーキングしながら計算やしりとりをするなどの活動が認知機能の維持に関連することが示されています。
体を動かしながら頭も使うという組み合わせが、脳への複合的な刺激として有効な可能性があります。特に高齢者を対象とした取り組みとして注目されています。
どんな状態と関係するか
運動と認知機能の関わりが特に重要な状況として以下が挙げられます。
軽度認知障害(MCI)の段階
認知症の前段階とされる軽度認知障害の方では、運動が認知機能の維持・改善に関連する可能性が示されています。
生活習慣病との重なり
高血圧・糖尿病・脂質異常症は脳血管障害を通じて認知症リスクと関連します。これらの管理において運動が果たす役割(第10〜12回参照)は、認知機能保護という観点からも重要です。
社会的孤立・うつとの関連
身体活動の低下・社会的孤立・うつは認知機能の低下と関連します。運動は気分の改善・社会参加の機会としても認知機能に間接的に関わります。
よくある誤解
❌「認知症の予防には、頭を使うトレーニング(脳トレ)だけで十分」
↓
✅ 脳トレには一定の効果が示されていますが、運動は脳への生理的な影響を通じて異なる経路で認知機能に関わります
パズル・計算・音読などの認知トレーニングには一定の効果が示されていますが、身体的な運動は脳血流の改善・BDNFの分泌・炎症の軽減など、頭を使うだけでは得られない生理的な変化を通じて脳に影響します。「頭を使うか体を動かすか」という二択ではなく、両方を組み合わせることが認知機能の維持においてより効果的と考えられています。
薬剤師・運動指導者として伝えたいこと
現時点で認知症を確実に予防・治療できる薬は限られています。だからこそ、生活習慣を通じたアプローチが重要な意味を持ちます。
認知機能の維持に関わる生活習慣として、運動のほかに良質な睡眠(第3回参照)・社会的なつながり・バランスのとれた食事・高血圧・糖尿病・脂質異常症などの生活習慣病の適切な管理(第10〜12回参照)・禁煙・節酒も重要であることが示されています。2024年のLancet委員会報告では、これらを含む14の修正可能なリスク因子への対処が認知症の約45%を予防・遅延できる可能性があるとしています。
薬剤師として付け加えると、一部の薬が認知機能に影響することがあります。抗コリン薬(一部の過活動膀胱治療薬・一部の抗ヒスタミン薬など)・ベンゾジアゼピン系薬(睡眠薬・抗不安薬)・オピオイド系鎮痛薬などは、特に高齢の方で認知機能に影響することがあります。これらの薬を長期服用している方は、処方医に相談することが大切です。
今日のまとめ
– 定期的な運動習慣は認知機能の維持・向上と関連し、認知症リスクの低減とも関連することが示されている
– BDNFの分泌促進・海馬の体積維持・脳血流の改善・炎症軽減がメカニズムとして示されている
– 有酸素運動だけでなく筋力トレーニングも認知機能に関連することが報告されている
– 運動と認知課題を組み合わせた「コグニサイズ」が認知機能維持に関連することが示されている
– 認知機能維持は運動だけでなく、睡眠・生活習慣病管理・社会参加との組み合わせが重要
– 抗コリン薬・ベンゾジアゼピン系薬など一部の薬が認知機能に影響することがある
– 次回は「運動と健康寿命」を整理します
───
北川 俊一(薬剤師 / スポーツファーマシスト)
Well Lab — well-lab-kitagawa.net
「薬を否定しない。でも薬だけに頼らない。」
©2023 TSUNAGARUCRAFT